おのくん

仙石線が復活してから行ってみたいと思っていた陸前小野駅。
陸前小野駅

こちらの東松島市・小野駅前応急仮設住宅集会所で作られている
「おのくん」に会いに行きました。
集会所

「おのくん」は震災後、東松島の復活を願って作られたャラクター。
本名は姓が「めんどくしぇ」、名前が「おのくん」。
元々は支援者の方が教えてくれた
「アメリカの貧しい労働者階級のお母さんが子供にプレゼントするために
お父さんの靴下を改良したソックスモンキー」だそうです。
震災後の厳しい生活の中でこのキャラクターの可愛らしさに惚れ込んだお母さんたちが
ひとつひとつ手作りしています。
1体千円で、この集会所で販売している他、全国発送もしています。

詳しくは<こちら

集会所に伺うと先に一組のご夫婦がいらしていて
おのくんを3体選んでいるところでした。
「今日こちらに来られてよかったです」と話されてお帰りになりました。

集会所では二人のお母さんがおのくんを製作中。
全国から寄せられたであろう靴下が束ねておいてあります。
私も家にあるサイズが小さくなってしまった男の子たちの靴下を
持ってくればよかったな、と後悔。
様々な柄や色があるおのくんの中から私が選んだのはこちらの2体。
おのくん

靴下についている滑り止めも上手に柄に取り入れています。
滑り止めも模様に

おのくん以外にもおのくんの絵本や付箋、缶バッチも販売していました。
東松島はブルーインパルスの訓練基地もあるので、そちらの絵柄の缶バッチも。

集会所前のベンチも・・
ベンチも

ゴミ入れもおのくん(笑)
ゴミ箱も

集会所はプレハブですし、周囲にはまだ仮設の住宅も残っていましたが
一戸建ての公営住宅(たぶん)の整然と並んでいて
東松島では住宅の整備も進んできたようです。

なお現在もおのくん制作のための靴下とワタの支援を求めています。

<おのくんのHPより>
おのくんのエサ(材料)となる
靴下と綿の支援を求めています!
《靴下》
新品の靴下をお願いしております。
赤ちゃんのものから大人のものまでOKです。
五本指ソックスなどもOKです。
スニカーソックスや薄い靴下やメッシュは使えません。
 
《わた》
おのくんの弾力のあるからだ、手足を作るのに、
「ダイソーの綿」が最適です。
送り先
〒981-0301 
宮城県東松島市牛網字駅前 2-33-1 
東松島市小野駅前応急仮設住宅集会場 
電話 : 0225-98-8821

小学校卒業式

今日は県内の多くの小学校で卒業式が行われました。
昼前から少し風が強くなりましたが晴天。
気温も高めで良い卒業式日和でした。

今年の小学校の卒業生は震災の直後に入学した児童たち。
学校によってはずっと間借りした校舎や仮設の校舎で過ごし
最近になってようやく新校舎に移った児童たちもいました。
まだ小学校の校庭に仮設住宅が建っている学校もあります。
そんな万全とは言えない環境の中で学んだ子供たちは
震災直後の様子を後世に語ることができる最後の年代かもしれません。
どうか彼らの未来が明るいものでありますように。
卒業おめでとうございます。

六年目

朝起きてカーテンを開けたらまさかの雪景色。
さらっと積もっただけですが、予想していなかったのでびっくりしました。
そんな雪も日が昇ると同時に溶けてしまいました。

今日は東日本大震災から丸6年。

改めて亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
そして今でも避難生活を送られている方々に一日でも早く日常が戻りますように。
また全国から、更に世界中からいただいた支援に感謝いたします。

この日が近づくに従ってTVや新聞で様々な特集が組まれ
震災からの復興の様子や、
未だに残る課題についての報告や検証がありました。
復興に向けて一定の方向性が見えたところもありますし
道半ばの地区もあります。
特に福島に関しては先が見えない地区が多くあります。
国は「復興五輪」を謳うのであれば
せめて五輪までには一定の道筋を示してくれるのでしょうか?

現在、私の生活の範囲では震災による不自由はありません。
それでも街道を「沿岸復興工事」の印を付けたダンプが走りますし
近所のスーパーの送迎バスは仮設住宅前を順路として通ります。
仙台の街道沿いに出来た復興住宅は坂の上にあって
高齢者は買い物が大変だと思います。

各市町村で公営復興住宅の整備が進み
仙石線は全線復旧、常磐線も少しずつ復旧し、商店街が新設されて・・
目に見える復興も進んでいます。

それでもまだ、目には見えないところに不自由が残っていると感じています。

五年と四ヶ月

先日の参議院選挙、候補者たちの震災復興対策を公報でチェック。

う~~~んと・・

「経済対策を進めて復興へ繋げる」等々、三人の候補とも具体的な政策は見当たらず。
国政選挙だと こんな程度なのかな?
地元出身の候補もいたんだけれど、なんか肩すかし。
それとも国政レベルではもう震災復興は過去の物?

もしかしたら街頭演説ではもっと踏み込んだ話をしていたのかもしれません。
でも我が家周辺へは候補者の選挙カーは回って来なかった。
有権者数が多い仙台市内には政党の党首が来て
街頭演説をしているシーンをニュースで見たけれど
郡部のこちらには某政党の選挙カーが1台来たくらいで(笑)

中央と地元との温度差を感じた選挙でもありました。


高校野球の地方予選も始まっています。
参加校の中には未だ校庭に仮設住宅があり、
充分な広さを確保できない環境で練習をしている学校もあります。
今の高校生は震災当時小学校高学年~中学校一年生。
当時の状況をしっかり覚えています。
大変な環境の中、野球を続けさせてくれた家族への感謝の気持ちを
忘れずにプレーしてることでしょう。
勝っても負けても彼らの今後の人生に栄冠が輝きますように。

五年と二ヶ月

先週末、夫の親戚の不祝儀で茨城まで行きました。
JR常磐線が通っていれば仙台からJR一本で行けますが
福島第一原発事故のために未だ未開通。
なので常磐自動車道を使って南下しました。

仙台東道路から有料道路へ乗り、しばらく行くと荒浜や名取の海岸線が。
まばらな松並木、ただ広いだけの土地、津波の爪跡が残っています。
その後、常磐道へ入り、景色も田畑へと変わります。
ラジオで聞いた「色とりどりの緑」という表現がぴったりの濃緑、浅緑。
所々に藤の薄紫、つつじの赤。
水をたたえた田んぼ。

ところが福島へ入りしばらく行くと景色が変わります。
最初は何か違和感。
なんでだろう? と思っていると派手なピンクのノボリ。
そこには「除染作業中」の文字。

「そうか、違和感は田畑に全く手が入っていないからなんだ」と気付きます。
田畑だった所は草生(む)し、低木が育ち、その姿をさらしているだけ。
そして除染廃棄物の黒い袋が積まれている場所が何か所も。
胸ふさがる光景です。
おそらく帰還困難区域・居住制限区域に指定されている地域なのでしょう。
瓦が落ちたままの家もあり、住民の気配を感じません。

更に南下していわき市に入るとまた日常の光景に戻ります。
不祝儀を済ませて帰りは常磐自動車道を北上。
再び人気のない地域を走ります。
震災と原発事故から5年ですが、まだこのような地域がある現実を心に刻みました。

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Author:へい
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