2年と8ヶ月

今日で東日本大震災から2年と8ヶ月。

月命日の今日、沿岸部では行方不明者の一斉捜索が行われています。
未だに行方不明者は県内だけでも1200人を越えています。
先日、震災直後に見つかった御遺体2名が
似顔絵が手掛かりとなって御家族の元へ引き取られました。


今日は先月13日に元職場の方たちとの旅行で沿岸部へ行った時の話を。


語り部タクシーで仙台市荒浜と名取市閖上(ゆりあげ)へ。
語り部タクシーとはNPO法人宮城復興支援センターの講習を受けたドライバーが、
震災の爪痕が残る場所へ案内し当時の被害や状況を説明致してくれるタクシーです。
ドライバーも被災者の方が多いそうです。

荒浜は仙台市中心部から車でわずか20分ほどの距離。

震災のあった年、プロ野球のオールスター第三戦が
復興応援で東京ドームからKスタ宮城に場所を変えて開催されました。
その時にイーグルスの嶋選手がスピーチの中で
「今、仙台の市街地には元の生活、日常が徐々に戻ってきましたが、
まだまだ復興には時間が-掛かります。
スタンドの高いところにいらっしゃる方、バックスクリーン後方、海の方をご覧ください。
ここからわずか数キロしか離れていない沿岸部では、
まだまだ助けを必要としている方々が多くいます」
と話した場所がこの周辺でした。

荒浜
松林が茂っていたという場所も幹がはがれた松がまばらに立っていて
運転手さんが写真集で見せてくれた震災前は住宅が密集していた場所は
一面更地で草で覆われています。
草がなければコンクリートの土台だけが剥き出しになって
もっと生々しい風景が広がっているのでしょう。
あちらに見えるのが仙台市街地です。
荒浜から仙台市内を臨む

海に近い場所にこの地区で亡くなられた方々の名前と年齢を刻んだ碑があり、
献花をしてお線香をあげてきました。

次に名取市閖上に向かいます。
閖上は年末にお正月の買い物をしたり、サイクリングロードで遊んだりしたことがありました。

ここも一面草地です。
ほとんどの家が流され残った家も解体されたそうですがポツポツとまだ家が残っています。
一階部分が壊れベニヤで囲ってある家が、踏ん張って立っているように見えます。
今回の訪問で一番胸に迫ってきたのは残っていた家の一軒です。
被災したその日のままなのでしょう、壊れた一階部分から家の内部が見えますが
家具も家の中の物もそのままの状態で残っていました。
家の持ち主があえてその姿で家を残しているのか、
この家に縁のある方を見つけることが出来なくて、片付けも撤去も出来ないままなのか。
どちらにしても2年8ヶ月前のあの日のまま時間が止まっていることを突きつけられる風景でした。
その家の二階の壊れた窓から、ボロボロになったカーテンが風にあおられている様子が胸に堪えました。

閖上地区は道路だけが残り平らな所に電柱が整然と並んでいます。
電柱は震災後の復興作業の為に立てられたのでしょう。
細かくされた屋根瓦やコンクリートの震災片が積み上げられ、土地のかさましに使われます。

浸水の高さを示す表示です。
ゆりあげ津波到達高
左下で作業をしている人の背丈と比べると
どんなに高い水の壁がこの地区を襲ったのかが分かります。

閖上中学校。
ゆりあげ中学校
校舎の時計は地震発生時刻で止まったままです。

中学校の駐車場を出たところのガードレール。
ガードレール

当時学校にいた生徒は助かりましたが、欠席や帰宅していた生徒14人が亡くなりました。
現在生徒たちは他の場所の仮設校舎で学校生活を送っています。
ここにも亡くなった生徒たちの名前を刻んだ碑があり
献花をしてお線香をあげてきました。

閖上の朝市も震災後内陸に場所を移して開催されてきましたが
カナダから贈られた木材で建てられた長屋式の店舗棟2棟が完成し
この場所に戻って開催できるようになりました。
店舗棟の隣に建てられた「カナダ東北友好記念館メープル館」では
地元の産物や、仮設住宅に住む方たちが作った作品が販売されていました。
手作り品は値段の何割かが製作者に届くシステムになっていました。
こちらで買ったひじきと
ひじき

ドレスタオル。
ドレスタオル
フェイスタオルを洋服の形に縫った物です。
このまま飾りにしても良いし、お手拭きタオルにもなります。

館内では震災当時のビデオも流れていましたが、私はパスで。

閖上は浸水地域より内陸に移転したいと考える住民と
浸水した地区を嵩増しして住宅再建を考えている市との歩み寄りが見られず
2年以上たった今でも住宅再建の青写真が描けない地区でもあります。

私も塩釜や多賀城、仙台新港などの浸水地域は歩きましたが、
全てが流された場所へ来たのは初めてでした。
来てみたい気持ちはありましたが、バス路線が荒浜や閖上の手前で途切れたままで
沿岸部まで来る足が無かったのです。
今回私も沿岸部を訪問する機会をいただき有難く思っています。


最後にタクシーの運転手さんが
「被災地に来て、見て、見たことを伝えてください」とおっしゃいました。

今回関東から来てくれた仲間達に「仮設住宅はまだあるの?」と聞かれました。
え? あるじゃない、私が見ただけでも塩釜にも多賀城にも仙台市長町にも・・。

運転手さんが言われたように、離れていると分からないことがあるんだ、
伝えていくことは必要だし大切なんだ、と実感した一瞬でした。

「仮設住宅はまだあちこちにあるよ。
帰りの新幹線、仙台駅を出たらすぐ左側に長町の仮設住宅が見えるから」と話しました。
彼女たちも帰りに、線路脇にぎっしりと建つ仮設住宅を確認してくれたと思います。

訪問から一ヶ月、遅くなりましたが私が見た風景をお伝えしました。


ヤフーニュースからの転記です。

【侍ジャパン】岡島、決勝打!東日本大震災救援の台湾に恩返し
スポーツ報知 11月11日(月)7時3分配信

 ◆2013ベースボールチャレンジ第3戦 台湾代表0―1日本代表(10日・天母) 
顔を紅潮させて、一塁ベンチへ拳をかざした。
侍のリードオフマン・岡島が3連勝の立役者になった。
3回2死三塁から、低めのチェンジアップを魂で拾い上げ、右前へV打となる先制打。
「相手投手が良かったし、ここで打たないとズルズルいってしまうと思った」。
CS、日本シリーズとしびれる試合を続けてきた勝負勘が、この日唯一の得点を生み出した。

 決意の“土下座”から、わずか約3か月で日本代表にまで駆け上がった。
7月下旬。盛岡で行われた楽天の決起集会で、星野監督に「使ってください」と頭を下げた。
捕手登録の24歳。嶋の壁は厚く、自慢の打撃を生かす機会がなかった。
7月31日の西武戦(秋田)で「1番・右翼」で先発すると、瞬く間にブレークした。
リーグV、日本一を経て、侍ジャパンのレギュラーにまで上り詰めた。

 感謝の思いを胸にプレーした。
この日の始球式には東日本大震災の際、いち早く日本に駆けつけた台北市レスキュー隊が登場。
「前もって、球場にいらっしゃることは聞いていました」。
岡島は、嶋、銀次の楽天勢とともにマウンドに向かい、
感謝の気持ちとともにサインボールを贈った。

 急成長を続ける1番打者は「本番のWBCに名前を残せるようになりたい」と声を大にした。
「(15日からの)アジアシリーズも勝ってアジア一になります」。
開幕2軍から駆け抜けてきた1年。世界を感じ、また一回り大きくなった。


先日のフィリピンでの台風被害。
震災当時のニュース映像を見ているようです。
少しですが私にできる手助けをしたいと思っています。

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