4年目

朝方に降った雪も昼にはすっかり溶けました。
天気は良いのですが風が冷たく肌に刺さります。


あの日「行ってきます」と出かけて行って帰って来なかった人。
「行っていらっしゃい」と送り出してくれたのに「お帰り」と迎えてはくれなかった人。
ずっと続くと思っていた日常が断ち切られたあの日。

あの日から4年が経ちました。

東日本大震災、及び震災後の厳しい環境が原因で亡くなられた
全ての方々のご冥福をお祈りいたします。
御家族を、お身内を、友人を、知人を亡くされた方々の心が少しでも癒されますように。
また未だ不自由な生活を送らざるを得ない方々が
一日でも早く安全で安定した生活に戻れますよう切に祈念いたします。
そして震災後、多くの支援を寄せて下さり
今も手を差し伸べて下さっている国内外の皆さまに、あらためて厚く御礼申し上げます。

震災直後の街中の不気味な静けさは忘れられません。
空には多くのヘリコプターがひっきりなしに飛んでいたのに
張り付いたような表現しがたい静けさが当時はありました。
沿岸部が大変な事になっている様子はラジオニュースから伝わってきましたが
私が現実を知るのは震災の翌々日。
給水車が来ているとの情報で町役場へ水をもらいに行ったときです。
役場は太陽光発電と雨水による水の供給がされていて
停電で暖房を失った町民が多く避難してきていました。
そこで震災後初めてTV映像を見ました。
津波の凄まじい破壊力に言葉もありませんでした。
帰宅すると新聞が届いていて、沿岸部の自治体が壊滅状況だと伝えていました。
その時は一ヶ月後、二ヶ月後の状況など想像もできませんでした。

4年経ちました。

まだまだ復旧も復興も道半ば。
解決しなければならない問題は山積みです。
具体的な復興に進み始めた自治体、やっと再建の青写真が出来た自治体、
未だ生活再建のめども立たず、元住んでいた場所を訪れることさえできない住民を抱える自治体。
それぞれの職員は精一杯働いています。
どうか復興の歩みを妨げることはしないで欲しいと、政府に望みます。

先月から今月にかけて死亡が確認された方が複数人いらっしゃいました。
皆さん、DNA鑑定での確認だったようです。
まだ行方不明者や、見つかっているのに身元確認が出来ていない方も多くいます。
一日でも早くお身内の元へ戻れますように。


先日新幹線で隣席の埼玉在住の御婦人(私より少し上でしょうか)と
道中いろいろとおしゃべりをしました。
御婦人は震災後宮城を訪れる機会があり、多賀城周辺を語り部タクシーで回ったそうです。
「何も言えなくてねぇ」
いいえ、沿岸部へ足を運び、現状を知って下さったことで充分です。
心にかけていて下さったことを有難く思いました。

<余談>
その方が秋保温泉にも何回か行ったことがあるそうで
「『篝火の宿』? 運良く入った時間が私一人で貸し切りだったわ」
あ、そのお宿は「緑水亭」ですね。
「娘と行った時に泊まったお宿は露天風呂が幾つもあって、
順々に入っていくと大浴場に辿り着くのよ」
もしかしてそのお宿、お風呂は地下にあって、水路に錦鯉が泳いでいませんでしたか?
「そうだったわ」
それは2時間ドラマでお馴染みの「ホテル瑞鳳」だわ(笑)
私もまだまだ行ったことが無いお宿が多いのですが
流石に当地で暮らして20年を過ぎ、幾らか土地になじんできたようです。

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